We Learned from Taiwan
台湾から学んだこと

右上は台湾最大の921大地震があった集集での写真です。
左下は太空花(PETフラワー)の講習時に貰った資料に、
吸管蝦の文字を見つけたのは高雄に行って知った後のことでした。

20年少し前に台湾で感じたこと

なぜ台湾では書籍(紙の本)の手芸本が売れないのか...

私は渡航目的の科学教育や工藝や音楽を通しての観点からですが、ハウツー面ではボランティアの人海戦術がすごいからだということでした。

講習会では、講師も主催者も参加者も、皆一緒に昼食を楽しみました。
人参だけのきんぴらを食べた時、戦時中欧米の捕虜が木を食べさせられたと怒ったという後にドラマにもあった牛蒡の逸話をこの時高齢の方から教えてもらいました。
ストローエビは台湾で私に伝わり、帰国した私からアレンジした作品が沖縄に伝わり...と、物の伝わり方は直線ではなく、変化して、飛び越えたり元に戻ったりしながら広がって行くことを小さなストローアートを通して体感しました。
「人参しりしり」が先か「台湾きんぴら」が先か...興味深いです。
防災については...
今回の花蓮の震災では僅か3時間後には避難所の設置と物資が整ったということを知りました。 今考えると、それには民間に牽引する優れた人材があったからこそだと感じます。
最初に渡航した時は台風水害から間もない時でしたし、何度かの訪台では旅行中に台風に遭ったこともありました。 本が売れないのは残念ですが、人と人の繋がりが強く、毎年台風の風水害にあっても、屈せず立ち直る明るさに驚かされました。
オンライン中心の時代になっても横のつながりは絶えず、高齢者の話を聞くことなど、日常から体制が整っていないとなかなかそうは行かないー義務的ではなく日常を楽しみながら知識を共有する習慣が染みついていると思いました。
非常時は平常時=日常の延長線上で、とくに災害大国の日本では、特別な時点ではなく線上の経過点だと思います。

921震災1年後の集集の講習室
入り口に残る壁のひび

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