Second confrontation with the virus
二度目のウイルスとの対決

 なぜクラフト作家になったのか
機会があれば書くと言ってから、もう10年経ってしまいました。

我が子が、小児科医院で診て貰っても理由が判らない
熱と倦怠感で困って総合病院に行ったところ、
市立総合医療センターの小児科の専門医を紹介されて受診して
検査の結果やっとEBV感染症であることが判りました。

EBVは、日本では生活様式の違いから幼児で免疫が出来ていることが多く、
海外では思春期以降に、唾液から感染する例が多いので
kissing diseaseと呼ばれているそうです。
当時日本ではまだ一般には知られていない病気でした。

感染症など病気への無知からいじめや中傷が起こるのは同じだと感じます。
我が子の場合は、「うつる」ということや「キス」からではなく、
倦怠感はあっても微熱なので、怠けていると思われていました。
そのせいで免疫が出来てからも、その後1年熱が下がりませんでした。
怠けていると誤解された陰口や、
気持ちはあっても出来ないことへの自身の葛藤による心因性の熱だったようです。

・・・・・
そんな我が子の小学5年年生当時、
熱心な担任が自前のPCを3台持ち込んで使った参観授業がありました。
まだ大阪市の公立小学校全てにPCのある視聴覚教室が出来る前のことでした。
それから数カ月後の罹患だったので、
インターネットを通して学習させようと想い付きました。
私もPCは使いこなせなかったので、親子で一緒に学んでいくしかありません。


色々良い偶然も重なるものだと思いますが、
近所の花屋さんに来るアニメが好きで日本に来た
米国の工科大卒の青年と知り合い英会話を教えてもらうことになりました。
ところがその青年は日本のプロバイダーでSEの仕事をしていたので、
英会話よりパソコンを教えてもらうことの方が多く、
IT学習の環境に恵まれたスタートになりました。

当時一般では、インターネットやPCを扱える人は
まだ理系中心ではありますが、様々な人が登録ボランティアで
インターネットで子どもの質問に答えて下さっていました。

その中で、インターネット学習プロジェクトの研究校の先生に出会い
交流を通して、サーバーに間借りしてホームページを作らせて戴いたり、
科学教育ボランティアのメーリングリストに入れて戴いて、
ディスカッションを眺めているうちに
講師のお手伝いとして親子で実験教室に参加したりするようになりました。

また理解して心配してくれる友達もあって、
中学に進学して環境も変わったこともあって次第に熱は退いて行きました。

今年から小学校の授業にも採り入れられるようになったプログラミングも、
20年も前にロボコンのプレコンテスト大会に参加したりしていたので、
今回新型コロナの中では多くの子ども達が通学できない環境にあって、
尚更に日本のIT環境の進歩の速度は遅かったと感じています。

現在は、我が子は結婚して家を出て、
私は親の在宅看護の中で2度目の感染症COVID-19と対決しています。
ということで、小間切れの日常なので今日はこの辺で。

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