To late Twenty years of history of IT education
遅すぎるIT教育二十数年間の歩み

これは22年ほど前の娘の写真です。
普通は小さな子どもの頃に出来ている免疫なく、 やっと免疫が出来て精神的ストレスからも全快しつつある時期に、
闘病中オンラインでインターネットの活用法を指導して下さった滋賀県の公立小学校の研究発表会に特待生として大阪から参加させて戴いた時のスナップです。

コロナ禍2年目の先日、
「大阪市は全児童にタブレット端末を配布完了」
というニュースを見て、「やっと...」と思ったのも束の間。
指導する体制が整っていないから又先送り...
21年前も、大阪は市内全部の小学校に児童一人に1台のPCが使えるパソコン教室を設置していました。
でも教える側の教師の体制が整わず、あまり使われることなくハードの方も機種が古びてしまいました。
あの頃から順調に進んでいれば...
同じことの繰り返し...

インターネット100校プロジェクトへの参加は有名私立小学校が大半の中にあって、
公立の大津にある小学校の一人の先生が視聴覚教室を手づくりで立ち上げられていました。
病気にならなかったら、そんな先生とも出会えなかったかもしれません。
でも、その下地として、
5年生の担任が私立の進学校卒で、自宅から持ち込んだ3台のPCで参観授業をされたこと。
もっと前は、
趣味だったのスキューバダイビングのインストラクターがショップの待合に米国のPCゲームを置いていたこと。
うちのお隣さんがNECのSEだったことがなどがあるのかもしれません。

現在の石原一彦先生はと、時々ネットで拝見しています。

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