鯱(しゃち) ≠ ORCA(シャチ) ではあるけれど

鰭などをアレンジした鯱

 日本のお城の天守閣にある「鯱」はイルカの一種(学名:Orcinus orca)ではなかったのですね。インドから伝わった「頭が虎で体が魚の架空の動物」です。そういえば、麒麟もキリンと違う架空の動物です。東大寺の瓦葺屋根などに見られる鴟尾(しび)が鯱へと変化して行ったのだそうです。
 その鯱が10年程前からか、台湾でストローを素材に造型されていました。私が一番シンプルなところが気に入って選んだ、台湾のお土産にと旗津夜市で買って戴いた中にあったのも、これのスティック部分がないものでした。
 「これは魚ですか?」と陳さんに尋ねたら「イルカだと思うよ」という答えが返ってきました。
私は鱗があるのはイルカのイメージじゃないな・・・と思って、エビを作ってみようとした時に、解いてお手本に使いました。そしてエビが完成して、色々な作品へと発展して行ったために、このイルカのことは忘れていたのですが、鯉を作り始めた時から、また徐々に見直しつつありました。そして、イルカとはシャチ→鯱鉾のことだと解って来たのです。お土産のキーホルダー型ではなく、このスティック仕様の鯱が気に入りました。
 カラフルに何本も作ると、シュガーキャンディーのブーケのようでポップでしょう?!その上鯱鉾だと思って作ると尚更です。
今は「子どもの日」になった端午の節句は、戦国時代に盛んになったもので、菖蒲(尚武)に表されるように男児の成長を祝ったものだそうです。その端午の節句の外飾りの鯉のぼりと内飾りの鎧兜を集約したようなお城の装飾だからで、そんな歴史も感じながら、平和と子どもの成長を願って作りたいと思いました。


 日本のイルカやクジラを食べる食文化が、今槍玉にあげられていますが、日本人も肉食文化を野蛮人だと考えた時代もあったことを想いました。人間も動物も皆何か別のいのちを戴いて生きているのですが、欧米のように肉食の習慣が無かった時代は、イルカやクジラは魚の一種だと思われていたんだろうと想像します。そして神前に農作物や海老や鯛などの海産物を飾る(お供えする)のと同じように、豊かな国を願ってお城の守護としたのだと感じました。イルカやクジラが絶滅して一番嘆くのは私たち日本人ではないかと思います。乱獲する筈がありません。


名古屋城   鯱鉾   東大寺大仏殿


Othe  Reference 
"1300 anniversaries of Heijoukyu Palace transfer" (English)
http://www.1300.jp/foreign/english/index.html

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