陳さんという人

 三国志の英雄曹操の墓が発見され、子孫のDNAと照合して真偽を鑑定するというニュースがありましたが、曹さんというのは現在770万人いるのだそうです。ところでタイトルの陳さんはというと、中国・台湾を併せて11%で、1億数千万人はいることになります。中華圏で10人に「陳さんですか?」と訊けば1人以上は「はい」と答える確率です。ちなみにランキング上位5姓は「陳」「林」「黄」「張」「李」だそうです。なるほど、少ない私の知り合いの中でも全て揃っています。それに、中国名は単漢字だと思っていたのですが、2字3字の姓も3割近くはあることを最近知りました。私の苗字も中国にあるのかもしれません・・・。


 私のプラスチックアートを科学イベントの200以上のブースの中から見つけ出した1億数千万人分の1の陳進旭さんは、台湾の和太鼓の父と呼ばれる人でした。お元気な頃は毎月のように来日されていました。来日の度に1時間でも時間が出来たら私と会うことを楽しみにして下さって、その口癖が「何か新しいもの考えた?」と、私が何か想い付くのを楽しみにされていたことでした。80歳に近い年齢にもかかわらず、その行動力と、あらゆるものへ関心を持ち吸収しようとされる姿勢に学ぶことも多かったと思います。
 今話題の「親鸞」はまだ読んでいないのですが、普通は出せないような高音で時には即興のお経や太鼓のリズム・・・そんな話をラジオで聴き・・・このように書くと、陳さんは浄土真宗なのかと思われるかもしれませんが、陳さんはキリスト教の信者でした。私は日本人でありながら、太鼓に身近に接するのは、巡行の太鼓の音が遠くからだんだん近づいてくる神社の夏祭りくらいのものでしたが、台湾に行った時に陳さんに和太鼓のコンサートに招待して貰って初めて和太鼓を本当に知ったような気がしました。体育館の床から脚を伝わってくる振動。空気が揺れて耳に入ってくる音。旋律が頭から心に伝わるのとは違って、直接振動が本能的に心を動かすような感覚を改めて意識したのです。
 陳さんは、和太鼓演奏を震災のPTSDや心身に障害のある子ども達へも採り入れて活動されていたのですが、私を台湾に招待して下さったのも921大震災1999年9月21日)から2年目の復興中の被災地の婦人部への講習会が第一の目的でした。確かにそれは目的に違いなかったのですが、すぐに、もっと広く長いスパンで捉えていたことがわかりました。私だけでなく日本の科学教育や音楽教育の分野で活動されている人を数多く台湾に呼んで交流されていました。そして台湾独自の様々なものを観せて相手の中にある日本の感性の中で、アイディアを育てようとされたのだと思います。まだまだ知られていなかった頃のでんじろう先生や、鬼太鼓座なども台湾各地で紹介されました。


 高雄にある国立科学工芸博物館での私のプラスチックアートの講習の時に陳さんに連れて戴いた旗津夜市で、私は初めて吸管工芸というものを見ました。たぶん私の眼は釘づけになっていたのだろうと思いますが、興味を持ったのを察して3つ選ばせてお土産に買って下さったのです。
 最近、ネットのおかげで、日本でもストローアートを作る人が随分増えて来たことがわかります。私が出会ってから2年足らず後に日本で初めてのストローアートの本を出版出来たのも陳さんのお陰で、「台湾和太鼓の父」は「日本ストローアートの祖父」でもあると言えます。
 高雄から台北に戻って、私は故宮博物院も見学させて戴きました。その時陳さんが仰った一言はよく覚えています。
 「ここへ連れて来た人は2種類に分かれるよ。時間を持て余す人と、足りない人」
私は後者で、最上階にある食堂でお茶を飲みながら時間潰しをしている陳さんに、もう少し時間を延長して下さるようにお願いして、結局3時間半ほど見学させて戴きました。その時にそう言われたのです。きっと多くの日本からのお客さんを案内されたのでしょう。脚が少し悪いので、私には「ツアーガイドがいる団体のそばに行って説明を聴くといいよ」と教えて、何時間も私を待っていて下さったのです。

私が一番印象に残った展示は珍玩でした。まだその時は、私の中でストローアートと結びついてはいませんでした。でも作品を振り返って見つめ直すと、高雄(旗津)で種を、故宮でそれを育てる栄養を戴いて日本に帰ったのだと思います。




 陳さんのことを思い出していたからか、今日の作品は珊瑚で作ったような金魚と緋鯉です。ストローアートも、そんなプロセスを知らないで楽しまれている人も多くなりましたが、私は、日台を行き来しながら両国に様々なものを見つけて育てた陳さんのことを忘れずに伝えていきたいと思います。
 ご存命中にストローアニメを見て戴けなかったことは大変残念ですが、4月にはお嬢さんが来日されるので、お父様に代わって放送を見て戴けそうです。陳さんほど日本語が堪能ではないのですが、ITの進歩のお陰で交流を絶やさずにいられる時代に感謝しなくてはと思います。 

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