寅年・地震・・・ストローアート

 寺田寅彦が「寅」の字だったことを今ごろ気になって調べると、やはり寅年生まれでした。今から80年ほど前に活躍した地球物理学者で随筆家ですが、今でも「天災(災難)は忘れた頃にやって来る」という名言はよく引用されます。実際は寅彦自身が五七五の形で書いた警句ではないそうですが、随筆にはその考え方が何度か出てきます。
私にとっては祖父のような懐かしい気がするエッセイばかりですが、ありがたいことに青空文庫で300タイトル近く読むことが出来ます。昨年暮れにはPDFでも読めるようになりました。
多少時代背景的な違いはありますが、その本質は今も変わらないと感じます。でも、文明=科学の進歩が被害を複雑で大きくしているところもあるので、もっと深刻な状態になっているのは否めません・・・。
 他にもこんな名言がありました。
「自然現象の不思議には、自分自身の目で脅威しなければならぬ」
「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい」
映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児
 私が祖父のように懐かしく思うのは、祖父も科学系の仕事をしていたのですが、同じように絵や書や音楽もと多彩な趣味を持つ人だったからかもしれません。書かれている事柄が祖父から聞いた話のように思えるのです。
http://www.geocities.jp/min_pda/father/e9.html
また、80年前すでに教育に映画(動画)を取り入れることを考えていたようですが、現代の私は、YouTubeなどを活用してハウツー記事を書く時代に暮らしています。そして映画とは切り離せないプラスチックを素材にクラフト創作や、アニメを制作しているのですから。
一体いつから理系文系などと分けるようになったのでしょうね・・・

 私がストローアートを始めたきっかけは、元はと言えば阪神淡路大震災かもしれません。そのすぐ後台湾の台中でも921地震が起きたのですが、ある科学イベントに出展していた私の考案したプラスチッククラフト「PETフラワー(台湾名:太空花)」をご覧になった台湾の篤志家の方が「講習で慰問して欲しい」と希望されました。見ず知らずの方からの申し出をお引き受けしたその講習の旅で「吸管造型工芸」と出会ったことで、今思えば震災の体験が伏線のような気がします。
http://www.geocities.jp/min_pda/ebi-story/straw-story.html
 占いでは、1月は私の注意しなければならない月というのが当てっていて悲喜交々あり、8日は父の命日でした。様々な思い出の中で、17日の震災もその一つ。色々なことを想いながら新しい年が過ぎて行きます。
 ハイチの地震被害も心配ですね・・・。
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/quakes_big.php

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