麦わら編みの馬をストローで再現 2

Photo:Y.Munakata
 昨日の馬は、東京女学館大学で考古学・博物館学を教えていらっしゃった金子先生が「麦わらの絵本」の中で作り方を書かれていたのでそれを見て作りました。
 日本の麦わら細工は東の大田区―大森麦わら細工と西は兵庫県―城崎麦わら細工だそうで、両方とも「編み細工」「張り細工」があります。昨日の馬はどちらの細工なのでしょうか・・・。あるいは、馬は民間で伝承されたもので、そんな素朴なものが洗練されて大森や城崎の工芸品に発展して行ったのかもしれません。「今から300年ほど前になる江戸時代の中頃、因幡の国(鳥取)から但馬(兵庫)の城崎温泉へ湯治に訪れた半七が麦わらに色をつけコマや竹笛に張って宿代の足しにと売り始めた。」と紹介されています。
 昨日は「素朴」と書いた写真の馬は、尾と耳に穂の根元が見えます。尾は最初に長さを決めれば難しくはないと思いますが、ちょうど耳の先にに穂が来るようにするには熟練を要すると、行き当たりばったり作る―計画性のない私には思えます。

 大森の麦わら編み細工は、かつてはお土産物として人気があったそうですが一旦途絶えて、最近復元されるようになったそうです。
http://navi.pio-ota.jp/blog/index.php?ID=267
 城崎の張り細工の手法を見ると、ただ貼るだけでなく象嵌の手法で作られています。鳥取は朝鮮半島とも近く、往来があったのではないかと推測しますが、その朝鮮半島の南東の端慶尚南道の統営(トンヨン)螺鈿象嵌が有名なので、技術の交流が張り細工発祥のヒントになっているのかもしれません。
(試しに「한국 나전 산지」(螺鈿 産地 統営)で検索すると工芸品の画像がたくさん出て来ます。
 統営の名の由来は朝鮮水軍の李舜臣(忠武公)が統制営を置いたことによります。秀吉・因幡・但馬・・・と歴史的な縁を感じますね。
http://www.kinosaki-douga.jp/mugiwarazaiku.php
 城崎は、私の居る大阪からは大森よりも地理的には近いのに、なかなか行く機会がなさそうです。偶然にも母が城崎生まれで指輪を作った記憶があると言うので、私が麦わらに興味を持ったのも何かの縁かもしれません。いつか行ってみたいと思います。動画に指輪も少し映っています。指輪は昔は子ども達が作った一番簡単な編み細工だそうですが、模様の出し方などは張り細工の雰囲気を持つ作品と言えそうです。城崎の方も、今は編み細工はほとんど見ることがなくなりました。

参考
 城崎温泉動画館
 大田区郷土博物館
 大森麦わら細工の会
 MAKOさんのミュージアム通信

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