昭和という時代と玩具

 私の知りあいの先生が、3~4年前に鳥取工業高校の物理室を整理されていて、写真の浮沈子(ふちんし)を見つけて撮って見せて下さいました。どうやら昭和初期に作られた実験器具らしいとのことで、ブログを通して、また誰かに見て戴くことを喜んで下さっています。
足利裕人先生撮影
 元々潜水艦などの仕組みを学ぶ目的があったという説もあり、日の丸がついていて、科学技術と軍事の関係を想像させるところもありますが、お子様ランチの国旗もしかり、私は高度成長期に子ども時代を過ごしましたが、良いも悪いも国民が同じ一つの目標を持てたのが昭和時代だと思います。
 浮沈子は1718世紀頃にヨーロッパで作られるようになり、その後、明治時代に三越百貨店でういてこいという名で売り出された頃から日本でも一般に知られるようになった玩具だそうです。現在一般的に使われている「浮沈子」という名前が中国語っぽいので、中国から伝わったものかと調べてみたのですが、そのルートははっきりとせず、名付けたのは日本の大学の先生だそうで、中国語では「浮沈偶」と訳され、近年になって日本→中国ルートで広がっているという話も聞きます。
(モノの伝播というのははっきりとした一本のルートではないと思います)
 その浮沈子ですが、英語ではCartesian diver(デカルトの潜水夫)という名前があります。(デカルトの発明ではありませんが)さぞかし欧米では周知で発展しているものだろうと思って外国人に訊いてみると、意外にも「知らない」という答えが返ってくることが多いのでした。確かにドイツ周辺の国には吹きガラス細工の浮沈子などがあって、一部のマニア達には垂涎モノですが・・・
Jurgen Ertel und Siggi Hauch
アメリカではランチパックに入れるような小さなケチャップの袋を浮き沈みさせ、そのしくみを実験して見せたりしています。でも、私はオモチャとしての魅力はあまり感じませんでした。
 私の幼いころ(昭和30年代)天王寺公園の縁日で浮沈子を見た記憶があります。後付けの記憶になりますが、その頃も「ういてこい」という名で売られていたそうです。私はその試験管の中で浮き沈みするそのオモチャがとても欲しかったのですが、誰かに「買って帰ると動かないインチキや」と言われたように覚えています。
 それから浮沈子と再会したのは、我が子が小学生の時。もう平成の時代でしたが、そんなに身近になったのは、昭和の終わり頃に米国からペットボトルが普及して、手軽に空き瓶を利用できるようになったことが挙げられると思います。それがさらに日本で、タレ瓶という独特のお弁当用醤油差しも貢献して、「理科離れ」を憂う先生方の工夫で楽しく発展し始めました。このような手づくりの浮沈子では、日本は世界一バラエティー豊かだと自負して良いと思います。

 昭和時代は工業も暮らしもプラスチックと共に発展した時代だと思います。それは一面、戦争によって急速な進歩を遂げてきたとも言えるのですが、浮沈子は、自分で手づくり出来る機知にとんだ楽しい玩具として、これからも子ども達に受け継いで行かれるといいですね。

 私はプラスチックでもの作りしていることもありますが、ペットボトルの水中で動くこのオモチャが大好きです。今の子ども達は仕組みがブラックボックスでわからないゲームなどのオモチャに囲まれていますが、自分の手から生の力が伝わって動くことはちょっとした感動があります。その実感体験はとても大切だと思います。そんな想いから、著書「キッチンから生まれたプラスチックの宝もの」に、浮沈子の仕組みなども書いていますが、残念ながら絶版しています。(図書館などで借りてご覧ください)
下記の浮沈子はその著書を出版した後の作品で、作り方はネットに公開しています。
YouTube私のチャンネルでも、いろいろな浮沈子動画がご覧になれます。

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