嘘つき 好き嫌い

 「嘘つきは泥棒の始まり」は、平気で嘘をつく人は、盗みをすることさえ悪い事だと思わなくなってしまうということで、心理的には、罪悪感から解放されるため自分が自分の嘘を信じてしまう(マインドコントロール)ことの積み重ねで、どんどん悪い人になって行くということだと思います。自分自身は嘘をついていないからと、知りながら嘘を助長するのも同じだと思います。


 私は、おネギが嫌いなことを子どもに隠していました。大人になってからカミングアウトしたら「やられた~ずっと騙されてた・・・」と苦笑していました。実は、私は完璧な「おネギ嫌い」ではありません。味自体は嫌いではなく、生など、ある状態の触感がとくに嫌いなだけで、コトコト煮込んだり、微塵切りにしたり・・・工夫で食べられる・・・というか、おネギはお料理には無くてはならない存在です。冗談で「出汁」と呼んでいるのですが、そんなふうに細かく拘った好き嫌いがあるのです。わがままなんでしょうね・・・。
 物理も数学もこれとよく似ているかもしれません。わがままに好き嫌いが存在します。学生時代は試験があるので、無理やり嫌いな部分も食べなくてはいけませんが、今は好きなところだけ―ものづくりと関連するところだけ選って食べています。もし試験がなかったとしても、自分が好きな部分を自覚するため―好きな部分を伸ばすためには、食わず嫌いで損をすることがないように、苦手なものを試してみることは意味があると思います。そんな時自分の気持ちにも嘘をついて「好きなんだ」と騙してみるのも誰に迷惑を掛けることでもありませんし、好きな部分が見つかるかもしれません。
 対義(反対語)に「嘘も方便」というのもありますが、嘘は自分と他者との関わりの中で相対的に善悪を判断することなんですね・・・。

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